2010年に博士課程の研究論文に取り組もうとしたことがきっかけでした。商業的なまちづくりをテーマにしようとしてたところ、当時日本では一般的でなかった、1960年代にアメリカで生まれた「プレイスメイキング」という公共空間の概念と活用方法の考え方がある、と恩師である倉田直道教授から提案を受けて取り組むことにしました。
(大学の後輩でもある)勝亦丸山建築計画の二人から、現在のPMKの原型となるプロダクトについて話をもらったのもその少し後ですね。
素材が紙であることから、分かりやすいストーリー性を持っている点だと思います。紙は都市空間の中の素材として登場する機会が少ないですが、日本の伝統的な建材として歴史もあり、リサイクル/アップサイクルも可能で環境に対するメッセージ性もあります。だからこそ「現代の都市に必要な素材」として説得力をもつことができ、関心を持たれやすい。今度PMKを導入する空間も、利用の決め手はそういったストーリーに関する部分でした。
屋内よりも屋外空間、都会のど真ん中であるほど木や紙の質感、手ざわりが活きてギャップが出る。それもPMKの面白さのひとつじゃないかと思います。
何かを実験的にトライアルして最終ゴールに向かうデザインプロセスの考え方が広がってきているからなのか、「仮設的なデザイン」に需要があるのかもしれません。ざっくりとして作り込まれていない、いい意味で隙がある親近感、未完成な感じが、PMKを現場に取り入れようとする方にとっても「もっとこうできるのでは」と意見を挙げやすくなったり、一緒に作り上げる過程にコミットしやすくさせるのでしょう。
日本の都市空間でも、例えば街路樹や花壇の縁にもある程度の高さと幅がある場所であれば、腰をかけることはできる。都市空間から「これ面白いんじゃね?」ってテンションで面白い使い方を発掘できる天才がまさにストリートカルチャーの人々。そういった状況が起こりやすい寛容性を持っている街/エリアほど面白くなる可能性があり、生き残っていくと思っています。
そもそも日本で「公共」というと、「オフィシャル」(公式な行政発のトップダウンで成立している)という受け止め方が強いため「ダメと言われたらダメ」となりやすいのですが、欧米で「パブリック」は「コモン=共有」の概念に近い。誰かが一方的にルールを決めるものでもないし、自分と違う場所への関わり方があっても「そんな人もいるのか」くらいに許容されるべき、という考え方がベースにあります。だから寝そべったり、だらっと座ったりする人のすぐ横でパソコンを膝に乗せてテレビ会議をしている人がいてもいいし、それをよしとするファニチャーが設置されていても良いわけです。そういう状況でPMKはどんな使い手にとってもカスタマイズしがいがある面白さを持っていますね。
不特定多数が使う公共空間は基本的に利用者を想定しきれない場所であり、人の数や流れを捌くべき数量として解釈し空間設計を行い、画一的に作っていくようなやり方がこれまでの潮流でした。しかしこれからは人口も減少し空間にも余剰部分が生まれてくる中で、定量的ではなく定性的な見方で空間の価値を捉える「人ありき」のデザインが都市計画にも入ってきます。そのような場面で、プレイスメイキングの考え方、そしてPMKはまさに最適なんです。
建築でも公共空間でも、運営の話抜きに「カタチを作る」だけでは難しい時代。特に、現場で日頃活動している事業者の中でも若い世代のプレイヤーが欲しいもの、しっくり来ることを基準に意思決定を行い、運営に反映していくことが確実に「場の持続可能性」に繋がります。
また、ある場所において最小限の作用で最大限の変化を生む「ツボ」を見極めると、たとえゼロから新たな都市空間を整備しなくとも、公共空間発で市民のアクションが変わり、それだけで十分効果の波及が見込めるのではと思います。効果が波及する射程範囲を定める際、多様な「街」の単位や場面、それらを構造的に把握する意識があるとなお良いでしょう。その際も、「プレイスメイキング」という概念を実践すれば、大抵の課題は整理・解決に向かえるはずです。
(写真:野呂美帆)